航空講座「FLUGZEUG」

飛行機のおもしろ雑学/豆知識を紹介

【まとめ】航空史【知っておきたかった】

飛行機はライト兄弟による1903年の飛行より実に100年に渡る歴史を持っています。しかし、私たちは以外にもその内容をよく知りません。

今日は、飛行機の歴史を語っていきたいと思います

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1900年

1903年にライト兄弟により始めての人類による飛行と勘違いしてる人はとても多いですが、正確に言うと間違いです。

ライト兄弟は、人類による初めての動力飛行と称されていて、実はそれ以前に空を飛んだ者がいました。それがモンゴルフィエ兄弟。彼らは1785年に気球に乗って、イギリスからフランスまで、飛行しました。これが正式な初飛行となっています。

 

1920年

ライト兄弟の飛行後も 航空機のレベルは着実に上がっていきましたが、1910-40年代には急激に成長しました。それは、「世界大戦」の存在。世界大戦により、航空機は 兵器として大きな役割を得て、各国が開発に近い力を注ぎました。

 

第一次世界大戦後、たくさんの余剰航空機と余剰パイロットの発生を利用して、航空産業の活性化に活用された。特にアメリカでは、航空機を郵便郵送に利用し、航空ネットワークの拡張に貢献しました。

 

1930/40年 - アメリカ

しかし、当時の航空業界では、航空事故の発生が相次ぎ、飛行機に対する信用が薄かったために、米政府は航空の安全を重視するために、航空局(Aeronautic Branch)を設立。また、1938年には民間航空法(Civil Aeronautics Act)が制定。さらに、民間航空委員会(CAB = Civil Aeronautics Board)の設立により、運賃・路線・新規参入に関しての厳しい規制が始まりました。

 

※CABの設立

民間航空法に基づく規制業務を行うために、商務省内に作られた Civil Aeronautics Authority が1940年に CAA (Civil Aeronautics Administration) と CAB (Civil Aeronautics Board) に分割した。

 

 

 

1930/40年 - 世界全体

このようにアメリカでは、国内の航空規制が厳しくなっていった。その頃、世界全体でも同様に規制を強化してゆく流れが起こっていた。主にアメリカとイギリスによる協議の結果、1944年に「国際民間航空条約(Convention on International Civil Aviation)」が採択された。これがいわゆる「シカゴ条約」と呼ばれるものである。

この条約では「領空主権」に関して規定されていて、

締約国は(中略)完全且つ排他的な主権を有する
その締約国の領域の上空を通つてまたはその領域に乗り入れて行うことができない

と定められた。

しかし、これでは他の国に離着陸することができない。つまり国際線を経営することが不可能となってしまう。そのため、同時に「国際航空運送協定(=International Air Transport Agreement)」を採択した。これにより以下の「5つの運輸権」を保証した。

・領空通過
・技術着陸
・自国より相手国へ
・相手国より自国へ
・相手国より以遠第三国へ輸送(以遠権)

しかしながら、この「国際航空運送協定」は米国が批准後脱退してしまうように、締約国はたったの11カ国ととても少なく、実効性のない協定となった。その結果、これらの「運輸権」は各二国間の航空協定に委ねられた。その先駆けとなったのが、米英による「バミューダ協定(1946年締結)」である。

このような「シカゴ条約」による制限の下、2国間協定により運輸権を定める、という枠組みを『シカゴ=バミューダ体制』と呼ぶ。この体制が今日の航空体制が今後長く続くこととなった。

 

1970年

一方、アメリカ国内では、CAB設立以来40年間もの歳月に渡って、規制を行ってきたが、1970年代に入ってからジャンボ機(B747)などが登場し、航空業界にも大量輸送・大衆化の時代が到来した。それにより、航空料金への消費者意識が向上した。さらには、1973年の第4次中東戦争をきっかけにした石油危機が勃発し、CABが航空料金を急激に引き上げたことも重なり、CABに対するが募って行った。

 

1977年。そのような中の大統領選。

カーター大統領が就任し、世論に従い航空規制の緩和を目指した。その結果1978年に「航空企業規制廃止法」(Airline Deregulation Act) が成立。これにより、CABの規制は4年間で廃止され、1985年にはCAB自体がされることな決定した。

 

その結果、新規参入や賃金に関する規制が撤廃されたことで、低コスト低賃金の小規模の企業がたくさん設立された。これらは現代ではLCCと呼ばれるようになる。LCCは、単一機材・機内サービスの有料化などにより低コストを重視したことで、成功してきた。

 

その一方で、大手航空会社はLCCに対抗するために、「ハブ&スポーク戦略」「コンピュータ予約発券システム」「FFP」などを発達させ、LCCとの差別化を図った。

 

1990年

さらには、1995年にアメリカが 「モデル・オープンスカイ協定」を策定したことで、いわゆる「コードシェア便」の運航が可能となり、各航空会社が 「アライアンス」に所属することで、より効率的に、より便利な、航空産業へと進化していき今に至る。

 

 まとめ 〜筆者の呟き〜

航空業界でも、経済界と同じように政府の規制を強化したり緩和したりというように調節してきた歴史が理解できます。しかし、完全な規制緩和から20-30年経つ今、LCCの台頭が目立ち、大手航空会社の経営が厳しくなってきています。また、航空会社による航空事故・重大インシデントが目立つこの頃。。。日本に関してみると、今後2020年オリンピックに向けて、航空需要が増加する中、滑走路や管制の限界が軽視されすぎてる気もします。羽田は現在ターミナルの拡張工事が進んでいますが、空港の受け入れ態勢を進めるばかりで、安全性向上は進んでるのか気になる所。滑走路の運用方法変更だけで、解決するとは思えないんだけどなぁ。

以上!!

 

 

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